2013.06.21 Friday

アンディ・フェアウェザー・ロウ

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    彼の名前を初めて知ったのはロニー・レインARMSコンサートでのことである。

    元スモール・フェイシズ〜フェイシズ〜スリム・チャンスのロニー・レインが罹った難病の研究費用を捻出するため、慈善コンサートがロンドン等で開催された。当時は元ヤードバーズ3人のギタリストであるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが競演するというので大いに話題になった。それ以外にもビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ、スティーヴ・ウインウッド、ケニー・ジョーンズらが出演、さらにニューヨーク公演ではポール・ロジャース、ジョー・コッカー、ロン・ウッドも出演するという豪華さだったらしい。

    もちろん、高校生だった自分はロンドンまで見に行くことはできなかったが、暫くしてFMでロンドンでのライブが放送され、さらに数年後にはビデオも発売された。

    そのコンサートでは豪華な出演者の中で、堅実にバッキングに徹しているギタリストがいた。それがアンディ・フェアウェザー・ロウだった。ユニオンジャックのジャケットを纏い、バッキング・ボーカルもこなし、ジェフ・ベックのセクションでは「ピープル・ゲット・レディ」を歌ったりもしていた。当時はエイメン・コーナーはおろか、フェアウェザーも知らなかったので、このヘンテコなおっさんは一体何者なのだろうと思った。


    さて、1991年の暮れ、ジョージ・ハリソンがエリック・クラプトン・バンドをバックに日本にやって来た。コンサートはジョージのパートがメインだが、中盤にクラプトンのセクションを挟んでいた。その時、サポートのギタリストが誰かは知らなかったが、途中彼がギター・ソロを弾く場面があった。コード・ストラミングばかりして地味なギタリストだと思っていたら大間違いだった。ほんのわずかな間だったが、引っ掛かりのある個性的な演奏ですっかり気に入ってしまった。そしてソロが終わると、クラプトンが「アンディ・フェアウェザー・ロウ!」と紹介し、そこで初めて彼だったと知ったのだ。


    その翌年「アンプラグド」が大ヒット、それに続いてまたしてもクラプトンが来日した。もちろん、アンディ・フェアウェザー・ロウもバンドの一員だったので見に行ったのだが、前回のような光るソロは聞かせてはくれなかった。

    さらにその後、ロジャー・ウオーターズのバンドメンバーとしても来日したが、その時は主にベースを担当、たまにギターを弾くもののソロを弾く場面は皆無だった。

    それから彼名義のソロ・アルバムを数枚聴いてみたが、いずれもシンプルなコード・ストラミング中心でソロはほとんどない。ハリソンとの来日時のあのソロは幻だったのだろうか。


    しかしこの秋、なんと彼が自身のバンドをひき連れて来日する。人のバックではなく、彼がメインのライブを日本で見ることができようとは夢にも思わなかった。だがよくよく日程をチェックすると、9月末頃である。ということはZUM南米ツアーと重なっていて行けないではないか。やはりあの素晴らしいギター・ソロは、このまま幻として心に刻むしかないらしい。


    比較的最近のソロ作


    こんなベスト盤的なものも!


    ARMSコンサート - FMでオンエアされたものより曲数が少ないのが残念!



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    2013.05.06 Monday

    ロバート・フリップ

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    初めて「クリムゾン・キングの宮殿」を聴いた時の衝撃は大きかった。音楽そのもののインパクトが大きすぎたので、個々のプレイヤーがどう演奏しているかというのは当初あまり意識しなかったのだが、何度も聴き直すうちにそのギタリストの姿勢に興味を持つようになった。タイトル曲や「風に語りて」での端正な演奏、「21世紀の精神異常者」でのフリーキーなソロといったところが、それまで聴いてきたギタリスト達とは明らかに違うアプローチだと感じたのだ。

    それまで聴いてきた多くのギター・ソロは、「いかにカッコよくギターを聴かせるか」を考えて弾かれているように感じたが、ロバート・フリップはそうではなかった。「いかにその楽曲を引き立てるか」を最優先していると感じたのだ。それはその次に手に入れた「アイランズ」での「レディーズ・オブ・ザ・ロード」でより顕著だった。普通ならここまで下手に弾くことはないだろうというくらいのソロだったからだ。


    それから随分後、ギター・クラフトで彼に様々なテクニックを教わった。それらは非常に合理的で実践的なものだったが、そこで彼はこうも言った。「テクニックは重要だが、もし音楽が要求するならそれらを無視して何をしてもいい。」


    ロバート・フリップの演奏の特徴は、

    1. メカニカルなピッキング
    2. 奇数拍子
    3. ペンタトニック、ホールトーン、シンメトリック(ディミニッシュ)・スケール
    4. ファズ/サステナーによる長ロング・トーン
    5. ループ使用による一人多重演奏

    といったところだ。1. に関しては、単純に「人間高速シーケンサー」とも言うべき「フレーム・バイ・フレーム」もあるが、それ以外にも様々なテクニックが隠されている。「アンカー」と呼ばれるテクニックを使い、異なる音符長が混在する「フラクチャー」、「フラクチャード」、「ムーヴィング・フォース」、さらにはクラシック・ギターのトレモロ奏法をピックでやってのける「ローズ・プレイヤー」がその代表だろう。しかし、これらのテクニックは既にクリムゾン以前のジャイルズ・ジャイルズ&フリップでの「組曲第一番」で完成されていたのだ。そしてこれらは完璧に弾けるようになったとしても、その後毎日練習を維持し続けないとライブでは弾けない。コツだけではどうにもならないシロモノなのだ。しかしそれだけの労力を費やしても、そこにそれだけの技術が隠されていることにはあまり注目されない。非常に地味な努力なのだ。

    それ以外にも独特なのが「フィンガー・ピヴォット」と呼ばれるテクニックだ。これは二つの弦の中間に指を置き、関節を曲げたり伸ばしたりすることなく隣同士の同フレットを行き来する。これは元々バイオリンのテクニックらしいが、ギターはバイオリンに比べ、弦と弦の間隔が広いので難しい。

    以前、ロバート・フリップに「プロ・ギタリストとは、1. 世界中の誰でもないギタリストになるか、2.世界中の誰も演奏しない音楽をやるか、3.人に言われるがまま何でも演奏するギタリストだ。」と言われたと書いたが、彼は間違いなく1、2を実践してきた。そこから考えると、彼が椅子に座ってライブをするようになったのも、実はそれが理由ではないだろうか。もちろん、座った方が弾きやすいのは確かだろうが、それまでに登場したロック・ギタリストで椅子に腰掛けてライブをする人間などいなかった。実はあえて狙ったのではないだろうか。


    衝撃のファースト 


    「フラクチャー」収録


    「レディーズ・オブ・ザ・ロード」収録


    既にこの時ギタリストとして完成されていた


    フリップ一人多重録音による「ムーヴィング・フォース」収録

    JUGEMテーマ:コラム


    JUGEMテーマ:ROCK


    JUGEMテーマ:progressive rock


    2013.04.22 Monday

    エドワード・ヴァン・ヘイレン

    1
    もう15年も前のことだが、ロバート・フリップとの面談でこう言われた。
    「プロ・ギタリストになるには3通りある。
    1.世界中の誰でもないギタリストになること
    2.世界で誰もやっていない音楽を演奏するバンドを結成すること
    3.やってくれと言われた音楽を何でもやるギタリストになること

    そして1の具体例として、ジミ・ヘンドリックスとエドワード・ヴァン・ヘイレンを挙げた。それくらいエディの登場は独特且つ衝撃的だったのだ。

    タッピング(我々世代にとってはライトハンド奏法)はそれ以前にもスティーヴ・ハケットが多用してはいたが、かなり地味だった。しかしエディは、ギターを弾かない一般の人にも分かりやすく驚かれるようなやり方でやってみせた。また音色もそれまで聞いたことのないくらいに歪んでいた。当時はあそこまで歪まそうものならハウってどうしようもなかった。その後ピックアップのパラフィン漬け加工が一般的になり、同じくらい歪ませることも可能になったが、彼は当時それを自分でやっていたのだ。

    基本的に、ヴァン・ヘイレンは「トリック」さえ分かればそれほど弾くのは難しくない。フルにピッキングで弾ききらず、ハマーオン、プルオフを多用するからだ。また、タッピングも慣れるまで時間がかかるが、一旦コツさえつかめばできるようになる。実は彼のタッピングに関してはディープ・パープル「ハイウエイ・スター」のオルガン・ソロがヒントになっているのではないかとにらんでいる。「暗闇の爆撃」での下降するラインはジョン・ロードのソロにそっくりだからだ。

    とは言っても、コロンブスの卵同様、それらを最初にやったことの意義は大きい。また二十歳そこそこであのリズムの安定感、そしてバッキングの合間にオブリガートをキメてきたりするところなどは並大抵ではない。

    昨年エディが突然倒れて来日が延期となったが、一昨日から無事オーストラリアでのツアーを開始したらしい。1978年の初来日、1979年再来日時はヴァン・ヘイレン嫌いを公言していた自分だが、今回はそれを撤回して素直に見に行く予定だ。




    JUGEMテーマ:ROCK


    2013.03.27 Wednesday

    ワディ・ワクテル

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      1981年夏の終わり頃、甲子園球場で「カリフォルニア・ライブ」というイベントが開催された。出演はジェイムズ・テイラー、リンダ・ロンシュタット、JDサウザー、そしてローニンという面々だ。当時のコンサート・チケットは3,4千円程度が相場と記憶しているが、このイベントは確か4500円だった。今なら1万3千円といったところだろう。高校入学して間もない自分にとっては大金だったが、こんな大物が一遍に見れるのだ、奮発してチケットを手に入れた。

      コンサートはリンダ・ロンシュタットなどのバック・バンドから発展したローニンからスタート、そしてそこにリンダ・ロンシュタットも加わり、その次がJDサウザー、トリがジェイムズ・テイラーという順だった。ローニンはこの日の出演者のバックバンドも兼ねていたので、ほとんど出ずっぱり状態だった。

      その日は、グラウンド部分にはステージのみで客席を設けず、スタンドからおとなしく観賞するというものだったので、出演者達はさぞかしやりにくかったことだろう。しかし、流石は百戦錬磨のセッション・ミュージシャン達で結成されたローニンである、最後まで安定した演奏で出演者をサポートし続けた。そのローニンでワディ・ワクテルはボーカルも担当し、トレードマークのカーリー長髪&レスポールで一際目立っていた。

      70年代後半の米ウエストコースト・ロックのアルバムを聴くと、しばしばワディ・ワクテルの名前を見かけたものだったが、実際に生で聴いたのはこの時が初めて(今のところ最後でもある)だった。初めて彼のギターを意識したのはリンダ・ロンシュタットのヒット、「バック・イン・ザ・USA」と「イッツ・ソー・イージー」だったが、本当に好きになったのはリンダ・ロンシュタットが79年に来日公演を行った際、FMで放送されたそのライブ録音を聴いてのことである。熱いけれどもどこか冷静で脇役に徹しているという印象は変わらなかったが、曲間でちょっと聞こえるギターのノイズだったり、レコードでは聴けないハードなソロに打ちのめされた。

      80年代以降はスティーヴィー・ニックスやキース・リチャーズのバック・バンドの一員として名前を見かける度に嬉しく思ったが、最近見かけなくなったので気になって検索してみると、80年代ではドン・ヘンリー、スティーヴ・ペリー、90年代はボブ・ディラン、イギー・ポップ、ロッド・スチュワート、トレイシー・チャップマン、ブルース・ホーンズビー、メリッサ・エスリッジなど多数のヒット・アルバムに貢献していたことがわかった。ラジオなどで聞いてはいたが、この辺のレコードを自分が買うことがなかったので、彼に気付かなかった。特にスティーヴ・ペリーのヒット、「オー・シェリー」のギターも彼だったと知って驚いた。それと同時にあの印象的なソロは、ハードだがニール・ショーンのように弾きすぎないところが彼らしいと納得した。

      2000年以降はかなり参加作が少なくなったが、2010年のグラミー賞パフォーマンスにテイラー・スウィフト+スティーヴィー・ニックスのバックで弾いていたり、リアン・ライムズの最近発売されたアルバムにも参加しているようだ。

      彼がセッション参加作の中で自分が持っているのはごくわずかに過ぎないが、その内一番のお気に入りはカーラ・ボノフのファースト・アルバムである。特にラストの「庭のバラ」では、しっとりとしたピアノ弾き語り曲にディストーション・ギターだが邪魔せずに色合いを添えるソロが素晴らしい。


      ローニン唯一のアルバム 

      カーラ・ボノフのデビュー作 


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      2011.02.08 Tuesday

      ゲイリー・ムーア

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        初めてその名を知ったのはギター雑誌に載っていた「バック・オン・ザ・ストリーツ」の記事でのことだった。そして、初めてその音を聴いたのは81年に出たグレッグ・レイクのソロ・アルバムでだった。

        ちょうどその頃、大阪(アンダーグラウンド)ハード・ロック界では一部でちょっとした「ゲイリー・ムーア・ブーム」が巻き起こっていた。スネーク・チャーマーというバンドに在籍していた「ストラトキャスターの魔術師」こと大谷令文がゲイリー・ムーアに注目しているらしいという噂だったからだ。そして、たまたま見に行ったアマチュアのコンサートでゲスト出演していたゼファーというバンドが何とその「ニュークリア・アタック」をカバーしていた。そのギタリストこそ、チャーマーを脱退したばかりの大谷令文だったのだ。

        それからというもの、ゲイリー・ムーアのレコードを探したが、日本盤は全く出ていなかった。しかし何と自分のバンドのドラマーがGフォースのアルバムを持っていると言うのだ。それも英国ピクチャー盤だった。

        早速借りて聴いてみて衝撃を受けた。演奏にも驚いたが、ライン直のディストーション・サウンドが衝撃的だった。自分もカセット・デッキのマイク入力にギターを直結して不自然なディストーション・サウンドを出していたが、まさかプロでこんなことをしているヤツがいるなんてと驚いたのだ。楽曲はポップなハード・ロックなのに、ライン録りのギター・サウンドが全てを台無しにしているアルバムだった。

        演奏面で最も衝撃的だったのは、当時のロック・ギタリストで最も速く弾いていたことだろう。自分はピッキングが苦手だったので、ハマー・オン、プル・オフでごまかしていたが、ゲイリーはそうではなかった。早いフレーズを全て、それも豪快なタッチで全てピッキングしていたのだ。当時のギタリストでそんなことをしていたのは、自分の知る限りアル・ディメオラくらいだった。

        一部のロック・ギター小僧達注目の的だったゲイリー・ムーアだったが、その翌年に出た「大いなる野望」でブレイクをした(日本だけか・・・)。

        そこではストラトをマーシャル直で鳴らしたかのようなストレートなギター・サウンドで聞きやすく、さらにはイアン・ペイス、ニール・マーレイらハード・ロック界大物を迎えたプロダクションで非常にわかりやすいアルバムだったのだ。

        さて、ゲイリー・ムーアの魅力はと言えば、豪快なピッキングと鳴きのベンディング&ビブラートに尽きる。今時彼より正確且つ速く弾けるギタリストは数多いが、彼ほどの力強いタッチでバリバリ弾けるギタリストとなるとかなり限られてくる。自分はピッキングには自信がなかったので、あまりピッキングをしないアラン・ホールズワースを聴いても驚かなかったが、ゲイリー・ムーアにはぶっ飛んだ。そしてボーカリストとしても好きだった。ライブではルックスの良いシンガーを据えてはいたが、いつもその力量が不足していた。もっと自分で歌えばいいのにといつも思っていた。

        「大いなる野望」のヒットを受けて、何と83年には来日までしてしまった。それも大阪公演はフェスティバル・ホールである。すかさずチケットを入手し見に行ったが、満員御礼状態だった。長身・美形・長脚のボーカルとニール・マレイに挟まれてはいたものの、ロック小僧達の熱い視線を浴びていたのはもちろんゲイリーその人である(今となれば懐かしいヤンキー達含む)。天は二物(ギター、シンガーの力量)を与えたが、三つ目までは与えてはくれなかったようだ。

        それから数年が経ち、他に興味が移っていったせいで、全くゲイリーを聴くことがなかった。そして1990年になり、ブルーズ・アルバムが出たと聞きびっくりした。しかしラジオで流れてきたそのタイトル曲、「スティル・ガット・ザ・ブルース」を聴きホッとした。

        そう、ブルーズとは言うものの昔と何一つ変わっていなかったからだ。暑苦しいまでのベンディング、ビブラート、日本人の琴線をくすぐる(?)鳴きのメロディは、バック・オン・ザ・ストリート収録「パリの散歩道」そのものだったからだ。

        ブルーズに路線転換したと言われたが、そうは思えなかった。彼のルーツの「ブリティッシュ・ブルーズ」をテーマにアルバムを作ったに過ぎない。演奏スタイルは何も変わっていなかったし、ブルーズを取り上げたといっても、既にピーター・グリーン、ジェフ・ベック、クラプトンが取り上げていたような楽曲ばかりだったからだ。

        そもそもハード・ロック自体、黒人のブルーズを英国の白人が60年代の機材・流行を背景に解釈して出来上がったものに過ぎない。ブルーズをテーマにアルバムを出してみたら、ちょっとヒットしました程度のものだったのだと思う。

        それにしても、昨春の来日公演を見逃したのは痛恨の極みだ。会場がウチから徒歩10分で行ける場所だったのに・・・。

        JUGEMテーマ:MUSIC


        2010.08.17 Tuesday

        ビル・ネルソン

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          ビ・バップ・デラックスに出会ったのは、19歳の頃だった。ある日、よく行く親友の家を訪問したところ、彼はこう言った。「お前のギターそっくりなヤツを見つけたで。タワーレコードでジャケ買いしてん。」彼が取り出したレコードは、ビ・バップ・デラックスの“Sunburst Finish
          ”だった。

          早速、彼はそのレコードに針を落とすと、そのままコーヒーを淹れに行った。

          確かに自分と似たようなフレーズを弾くギタリストだと思ったが、ピッキングが苦手らしく、プル・オフ、ハマー・オンを多用するタイプだったので、自分はこんなギタリストではないと否定した。

          しかし捻りのきいた楽曲、音作りに惹きつけられ、結局そのままアルバムを最後まで通して聴いてしまい、そのままレコードを借りて帰ってしまったのだった。

          当時、ビ・バップ・デラックスは既に解散しており、何の情報も得ることができなかった。1978年ごろのFMレコパルに紹介記事があったのを思い出し、押入れから引っ張り出したが、ライブアルバムのレヴューだけで結局何も分からずじまいだった。ロック・オタクだった寺西さんに聞いてみても知らないとのことだったが、彼が気に入りそうな音だったので、早速カセットに録って渡した。

          そのまま、他のアルバムを聞く事もなく数年が経ったある日、CDでベスト盤が出ているのを見つけて早速買ってみた。90年にリリースされたこともあり、マスタリングももうひとつだったので、最初はあまり気に入らなかった。その後東京に引越した頃に、また聞いてみたところ「ジェット・シルバー」、「ミュージック・イン・ドリームランド」「メイド・イン・ヘヴン」などいい曲がたくさんあるのに気がつき、それからは貧乏一人暮らしの良き「友」になった。

          またしてもそれから数年が経ち、今度はソロ新作「アトム・ショップ」を手に入れた。それはロバート・フリップのレーベル、DGMからのリリースだった。全く期待しなかったのだが、これが予想をはるかに上回る会心作だった。もちろん、ビ・バップ・デラックスとはかけ離れた音楽だったが、98年当時では斬新なアイディアがちりばめられ、またヒネリ加減も半端ではなかった。

          一昨年、ビ・バップ・デラックスの全アルバムが紙ジャケ再発された。もちろん「サンバースト・フィニッシュ(炎の世界)」は即購入した。改めて聴きなおしてみたところ、これはヤバいと思った。25年前の自分のギタースタイルに似すぎているのだ。いや、自分の方が彼に似ているというべきだろう。ちょっとロックン・ロールなフレーズ、メジャー、マイナーのペンタトニックを行ったり来たりするところ、それからフレーズとフレーズの合間の「迷い」、そしてやはり、ピッキングが苦手であるところなどである。

          25年前に親友が指摘したことは正しかった。

            




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          2009.02.01 Sunday

          スノーウィー・ホワイト

          0
            スノーウィ・ホワイトほど地味なロック・ギタリストは他にいないのではないのだろうか。

            ピンク・フロイド〜ロジャー・ウオーターズのサポート・ギタリストとして、またシン・リジーのメンバーとして、さらに「バード・オブ・パラダイス」の全英ヒットの経歴も持つ活躍ぶりとは言え、いつも控えめでオシが弱く、よくぞこの業界を生き抜いてこれたものだと思う。

            初めて彼のギターを聴いたのは、リチャード・ライトの79年のアルバム「ウェット・ドリーム」だった。あまり技巧的ではないが印象的で、同じくピンク・フロイドのメンバーにして蜻蛉のような存在のリチャード・ライトをうまくサポートしている。

            しばらくして、2枚目のソロ・アルバム「スノーウィ・ホワイト」、そして遡って1枚目の「バード・オブ・パラダイス」を聴いたのだが、ルックス同様オシの弱い歌、そしてパッとしない楽曲であまりピンとこなかった。しかし、ヒットした「バード・オブ・パラダイス」での絶妙のオブリガートは好きだった。

            本当にスノーウィ・ホワイトが良いと思うようになったのは、1990年にベルリンで行なわれたロジャー・ウオーターズによる「ザ・ウオール」コンサートでの演奏を聞いてからである。ほとんど地味なバッキングに徹し、もう一人の「わかっていない」ギタリストにソロやメインのパートは任せているのだが、コンサートも終盤にさしかかった頃に演奏された「コンフォタブリー・ナム」では、二人のギタリストによるギター・バトルがあり、やっとのことでたっぷりと彼の演奏を聴くことが出来る。延々その「わかっていない」ギタリストの演奏にイライラさせられた末にスノーウィーの演奏を聴き、溜飲が下がる思いをした記憶がある。

            2002年にはそのロジャー・ウオーターズ・バンドの一員として来日し、ついに生で見る機会に恵まれたのだが、彼自身やや不調だったのか、今ひとつ冴えがなかったのが残念だった。それでもあの絶妙のタメ具合とビブラートは健在で嬉しかった。(尚、そのバンドにはPPアーノルド、リンダ・ルイス、そしてアンディ・フェアウェザー・ロウが含まれていた。)

            そう、スノーウィーはロジャー・ウオーターズ・バンドではほぼレギュラーとして参加しているにもかかわらず、いつも第2ギタリストの地位に甘んじている。とにかく脇役でいるのが似合う存在なのだ。自分が前に出て歌ったりソロを弾きまくったりするよりも、他人のサポートに徹し、たまにハッとするような演奏を聞かせるのが向いているようだ。

            とは言え、ぜひ彼のバンドも生で聴いてみたい。



            リチャード・ライトの初ソロ

            ベルリンの壁コンサート


            ヒット曲「バード・オブ・パラダイス」収録
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